人を動かす②(盗人にも五分の理を認める)
盗人にも五分の理を認める。
辞典では。
『盗人にも三分の理とは、悪事を働いた者にも、
それなりの理由はあるものだということ。
また、どんなに筋の通らないことでも、
その気になれば理屈はつけられるものだということ。』(故事ことわざ辞典」
「君、なんでそんなことをやったんだ!」
「もう、やっちゃだめって言ったでしょう!」
何か悪いことをした人がいると、
徹底して相手のミスを注意して、責めて、、
それが、相手のためになる。しつけになる。
それなのに、なんでわかってくれないんだ。
となりがちですが、、
ここでは、盗人にも五分の理を認める。
三分ではなく、五分。
相当、悪いことをやったと言っても、本人は、
全く悪いとは思っていない。
いや、真っ当な理由があると思っている。
『俺は働き盛りの大半を、世のため人のために尽くしてきた。
ところが、どうだ。
俺の得たものは、冷たい世間の非難と、お尋ね者の烙印だけだ』(アル・カポネ)
悪いことをやったとは、全く思っていない。
強盗、殺人、ひき逃げなど、
なんでそんな凶悪な、卑怯な事件を起こしたんだ、と思うけど、
それらの犯人にも、それ相当の理由があるから、
犯罪を犯してしまったんだろう。
頭から否認する人もいれば、
素直に供述する人もいるけど、心では、
「こっちだって事情があるのに…」と思っているかもしれない。
そう、実は、ミスを素直に認めたくない。
あなたは悪いと言われたくないのが、私達なのではないか。
『我々は他人からの賞賛を強く臨んでいる。
そして、それと同じ強さで他人からの非難を恐れる』
(ハンス・セリエ)
自己肯定感、承認欲求、名誉欲とも言われるが、
人から認められたい、誉められたい、けなされたくないのが私達。
だから、注意され、ミスを指摘されると、
猛反発する心が起きるのは、私達人間の本性なのだ。
なのに、あえて、名誉を傷つけ、プライドを傷つけるようなことを言ったら。
言うことを聞いてくれるどころか、
反発、さらには報復するに違いない。
何か理由があってのことだろうと相手を認めて、
自分はどうかと、置き換えてみたらどうだろうか。
南北戦争を勝利に導いた、
リンカーンの言葉も、紹介されている。
「人を裁くな、人の裁きを受けるのが嫌なら」
「あまり悪く言うのはよしなさい。
我々だって、立場を変えれば、
きっと南部の人たちのようになるのだから」(リンカーン)
相手もいろいろと事情があったんだろう。
立場を変えれば、自分もそうだろう。
「さるべき業縁の催せば如何なる振舞いもすべし」(歎異抄)
縁さえくれば、どんなことでもするのが私達である。
だから、きっと、事情があるに違いない。
そう相手のことを認める。
決して非難したり、苦情を言ったりしない。
そこが、相手を動かす、第一歩だと知らされた。
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